日野資枝ヒノスケシゲ

元文2~享和元:冷泉為村・烏丸光胤・有栖川宮職仁親王の手ほどきを受けた優れた歌人で、当代の歌壇の重鎮であった。また茶事を嗜み、裏千家八世一燈宗室(1719~71)の門下にあった。烏丸光栄の息子として生まれたが、日野資時の養嗣子となり、日野の姓を継いで従一位権大納言まで至っている。