初代宮崎寒雉ミヤザキカンチ01

寛永 8~正徳 2 (1631~1712):鳳至郡中居村(現穴水町中居)に生まれる。彦九郎と称し、名を義一、晩年剃髪して一艸庵寒雉と称した。京都で名越家(大西家の説もある)に入門し、茶釜の製造法を修得する。金沢に帰り、加賀藩三代藩主前田利常に召され、又仙叟の指導を得て、藩の御用釜師として侘びのある茶の湯釜を制作する。また意表をつく斬新な形態のものもある。