初代山川孝次ヤマカワコウジ

文政11年~明治15年(1828~82):金沢に生まれる。町人で山屋八十吉といい、茂孝ともいう。天保年間頃江戸から金沢へ、横谷宗珉風の技術を伝えた柳川春茂(内田甚三郎ともいう)に入門、技術を修める。その上達が極めて著しく、加賀宗珉とうたわれる名工となる。文久2年加賀藩の白銀師となる。江戸末期の金工、特に彫金の名工。文久年間に孝次と改名。