吉谷華圃ヨシタニカホ

明治15~昭和36:金沢に生まれる。旧姓は柿沢。4歳で父を亡くし、吉谷家の養子となる。12歳のとき、南画家の岸浪柳溪に師事する。明治36年養母が亡くなり、師の後を追って横浜に出る。横浜では、原三溪をはじめ当地の財界・文化人の援助を受け制作にあたる。寺院の依頼による仏画を描いたほか、平安時代以降の仏教絵画の模写を数多く行った。また、横浜の古美術の調査にも貢献した。関東大震災の折には、金沢に帰郷し地元の古美術を調査している。昭和18年横浜市民博物館評議会評議員となる。