富岡永洗トミオカエイセン

日本画家。信濃生。通称は秀太郎。別号を藻斎。父は松代藩士。独学で画を学び、のち小林永濯に師事して浮世絵を学ぶ。画業の傍ら雑誌の挿絵も手がけ、艶やかな美人画で評判を得た。松本楓湖・梶田半古らとともに日本画会を創立するが、のち退会。また一方で日本美術院特別賛助員となる。明治38年(1905)歿、41才