歌川芳虎ウタガワヨシトラ

国芳の門人で、一猛斎・錦朝楼などと号した。天保から明治20年頃にかけて、武者絵・役者大首絵に優れ、ほかに美人画・開化絵なども描いた。相撲絵は国芳の門人中では一番多い。