尾形乾山おがたけんざん

寛文 3~寛保 3:京都の富裕な呉服商雁金屋の第三子に生まれる。本姓は緒方で、通称を権兵といい、名は深省。また尚古斎・陶隠・紫翠・習静堂など多くの号がある。絵は兄光琳に、陶法は野々村仁清に学んだと伝えられる。京都の乾(北西)の方角にあたる鳴滝に築窯して乾山と号し、銹絵付の作品などを焼いた。兄光琳の絵付による合作の優品も多く、額皿類が伝世している。この時期の作品を鳴滝乾山と呼ぶ。次いで二条丁字屋町に移り、色絵を中心に作陶、晩年は江戸に下り上野入谷に窯を築き、鉄釉の黒を基調とした独特の雅陶を焼いた。