狩野元信カノウモトノブ

文明8~永禄2:山城国(京都)に生まれる。室町後期の画家で、名は四郎次郎、通称は大炊助、後世に古法眼と呼ばれる。狩野正信の長男。永正10年(1513)『鞍馬寺縁起』の制作や同13年の足利義種に嘉例として扇を進上しており、既に幕府御用絵師であったとされる。天文12年(1543)御所の襖絵などを担当し、同14年頃法眼に叙された。大寺障壁画や襖絵、縁起絵巻の制作ほか、絵馬や扇面画などもこなし各種各階層の需に応じた。宋元明画や諸様式を摂取し大和絵の手法にも通じ、平明で装飾的な桃山時代の障屏画様式を打ち立て、狩野派の基礎を確立する。