俵屋宗達タワラヤソウタツ

伝記・出身などは不明。慶長~寛永期にかけ活躍した京都の上層町衆で、本阿弥光悦ら公家・文化人・茶人との交流が知られる。はじめ扇面画や絵巻・料紙装飾などを手掛ける絵屋『俵屋』を主宰し、慶長7年(1602)厳島神社の平家納経を修理し、また斬新な意匠の金銀下絵料紙装飾にも関係し光悦の書と競演する。元和頃には金銀濃彩の雄大ながらも典雅な装飾性高い画風を打ち立てる一方、柔軟な筆致とたらし込みを駆使した日本的水墨画の新境地を拓く。寛永以降、多くの代表作を残した。宗達指導の画房を興し、琳派様式を創始した。寛永時代没。