千代尼チヨニ

元禄16~安永 4:加賀国松任町(石川県松任市)に生まれる。江戸時代中期の俳人、加賀の千代女とも称される。表具師福増屋六兵衛の娘。12才頃、俳人北方屋弥左衛門について俳諧の手ほどきを受け、次いで各務支考・中川乙由の門にあり女流俳人として名声を得る。作風は通俗的ながら理知的風調を含む。句集に『千代尼句集』『俳諧松の声』など。書については山本源右衛門・内山逸峰に、画は矢田四如軒・呉俊明などに学んだと伝える。宝暦4年(1754)剃髪し、千代尼・素園と号した。また宝暦13年年の朝鮮史来貢の献上の掛け物・扇子を描いた。