鄭 成功テイセイコウ

天啓 5~康煕元:平戸(長崎県)の生まれ。明朝復興運動の中心人物。幼名福松、中国名森、字は明 、号は大木、は忠節。国姓(明皇帝の姓)である『朱』を賜ったので国姓爺と称される。7才の時に明に渡り南京(高祖)の大学に学ぶ。明の遺臣に擁立された唐王隆武帝の知遇を得て国姓朱を賜り、成功と改名し忠考伯に封じられた。抗清復明を決意し、廈門・金門を本拠として沿岸各地に軍事・経済の拠点を拡大し、また日本・ルソン・交趾・シャムなどと交易して勢力を貯え北征(南京攻略)を行うが失敗し、台湾を拠点とすべく侵攻・占領したが病死した。