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学芸員コラムColumn

2018年5月1日展覧会#35 狩野探幽《笛吹地蔵図》

 展覧会を企画する者の僥倖は、文献の上では確認されていながら、その所在が長らく不明である「幻の作品」と出会い、公開を実現することです。今回「美の力」で初公開された狩野探幽筆《笛吹地蔵図》はまさにそうした作品です。『加賀前田家 表御納戸御道具目録帳』(国書刊行会 1978年)の「五番御長持御入方」に着目すると、135番に「地蔵 法眼筆」とあり「但先御帳ニ者地蔵絵探幽筆与有之」と記載されていることから、この法眼は狩野探幽であることが確認されます。私は2005年の「金沢美術青年会創立50周年記念特別展」で探幽の「笛吹地蔵」を実見し、表具の特徴から目録所載の作品であることを確信しました。その時に、同目録137番に「金地之地蔵 法眼筆 但先御帳ニ者地蔵繪金地探幽筆与有之」と記載されている一幅を是非実見したいと痛切に願いました。
 その願いは、全く予期せぬ形で叶いました。201712月、金沢美術倶楽部において3会場の「美のチカラ」展に出品が検討されている作品の調査と撮影が行われました。そこには、まさに秘蔵の逸品と呼ぶべき作品が集結して驚きの連続だったのですが、開かれていない「金地之地蔵」と記された箱から強烈な念を感じました。その念は、現在当館の「美の力」に展示されている《竹茶杓 光高様》(小堀遠州作)を拝見した直後に極限に達しました。
 そこで拝見を懇願し、いよいよ《笛吹地蔵図》を実見した時に口を衝いて出た言葉が、「光高追善」でした。本作を納めた箱蓋裏には、1938年に金沢の表具師が修復した銘があり、牙軸に「正保三年四月 西村吉兵衛作」との書付がある旨が記されています。この正保3年(1646)が本作の制作年代であるかを検証するために、画面右下の「探幽齋筆」の落款の書体と伝存する同じ落款の作品と比較すると、1645年作の「佐久間将監像」や、1646年の「三十六歌仙扁額」裏面銘(愛知・滝山東照宮蔵)と、「探」の一画目を太く横にはねる特徴が共通することが確認されます。したがって《笛吹地蔵図》は、16464月を最終的な制作年と結論付けることができます。
 この年、狩野探幽に《笛吹地蔵図》を発注した人物は、加賀藩三代藩主・前田利常以外に考えられません。それでは、前田利常にとってこの年はどのような意味を持つのでしょうか。そこで利常と二代将軍・徳川秀忠の娘・珠姫(天徳院)との間に生まれた四代藩主・前田光高が、前年の正保2年4月5日に30歳で夭折している事実が想起されます。そうすると、翌1646年4月はまさに光高の一周忌にあたります。したがって、先祖の業により夭折したとも考えられる亡き子のために、死んで賽の河原で苦しむ子供を救済する地蔵菩薩の制作を利常は狩野探幽に依頼し、一周忌の供養としたことが明らかとなります。
 大徳寺第156世で春屋宗園の弟子・江月宗玩から「探幽齋」の号を授かったように、仏道に深く帰依した探幽は、利常の依頼とその思いを深く受け止めたことでしょう。まず絹本に金箔を押す手法は、江戸中期の1700年代に一般的となることから、本作は制作年代が判明する最古の作例となります(なお前田家は、江戸・本郷の上屋敷にある達磨亭の床貼付絵として、探幽に「芦葉達磨図」を発注しています。この作品も絹本金箔押しの最初期の作例として注目されていますが、達磨亭の建築年代が現時点で判明せず、また金箔押しも軸装に改められた際という可能性も否定できないので、前田育徳会蔵の探幽筆「芦葉達磨図」を、大画面であることも考慮して本作に先行する絹本金箔押しの作例と見なすことはできません)。
 新しい技法である絹本金地に、鮮やかな群青や緑青を用い、また衣装の文様も金を用いて丹念に表現していることは、『法華経』「方便品」の説く作善の実践です。そしてこの功徳によって、発注者も画家も多くの人々を救済することができるという法華経信仰を、前田利常と狩野探幽が共有していたことは疑いありません。それゆえに、本作は前田光高の一周忌を機縁として、様々に苦しむ人々を済度する願いをもって制作され、またそのように前田家において伝えられたと考えらます。そしてその願いは、前田家が本作を1870年に困窮する人々を救済するために売り立てた事実によって、新たな形で成就したということができます。
 落款の書体から、2005年に公開された《笛吹地蔵》は、金地の地蔵尊が特別の意義をもって描かれたことから、後に手控え作として利常が探幽に依頼したものと考えられます。探幽はこの後様々な「笛吹地蔵図」を描きますが、本作は制作年と発注者、そして発注の経緯が明確である点で、探幽の同画題を研究する際の基準作として美術史上に銘記されると確信します。最後になりましたが、本作の調査と公開を快諾いただきましたご所蔵者に、改めて深く御礼申し上げます。(村瀬博春)

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