太田錦成オオタキンジョウ

明和 2~文政 8:加賀大聖寺(石川県)の人。江戸後期の儒学者。名は元貞、字は公幹、通称乙之助・忠蔵で後に才佐。大聖寺藩医樫田玄覚(東巖)の七男。幼児から神童の誉れ高く9歳で詩作したと伝えられる。当時の大儒皆川 園・山本北山につくが意に満たず、独学で一家を成し春草堂を開く。宏才博学でとりわけ経書に深い。また考証精密で、日本考証学の先駆をなすといわれる。三河吉田藩次いで、加賀藩に仕えた。著書は『九経談』『春草堂詩集』『梧窓漫筆』などほか40種に及ぶ。