松村呉春マツムラゴシュン

宝暦 2~文化 8:京都の人。江戸中~後期の画家で四条派の創始者。名は豊昌、字は伯望、通称文蔵、号は月渓・可転・允白・孫石・蕉雨亭・百昌堂など。京都金屋の年寄役松村匡程の子で、はじめ家業を継ぎ金屋平役となり、大西酔月、次いで与謝蕪村に俳諧・画を学ぶ。家業の都合で画家として立ち、池田(大阪)に移り姓を呉、名を春と改める。天明頃には画風を蕪村から応挙風に転じ、平明で写実的な作風に、俳諧的な洒脱味を加えた新様式を興し、それは応挙没後の京都画壇に盛行した。呉春や一門は京都四条に住したので四条派と呼ばれた。