円山応挙マルヤマオウキョ

享保18~寛政 7:丹波国穴太村(京都府亀山市)の生まれ。江戸中期の画家。幼名岩次郎、通称主水、字は仲均、号は初めは一 で後、夏雲・仙嶺など。京都に出て狩野派の画家で禁裏絵師でもあった石田幽汀に学ぶほか、舶来玩具の覗き機械用の眼鏡絵制作で西洋画の透視図法を収得する。また宋元画の細密描写や清の沈南 の写生画法や渡辺始興の作風など諸派に学び、写生を重視した平明で写実的な画風を確立し四条派の祖となる。内裏・寺社などの障屏画制作に腕を振るう一方、上層町人・文化芸能界の人々とも親交があり、画巻から俳画などもこなした。