遐福舎カフクシャ

明治10~明治18:天明年間(1781-88)に大黒講(各業種にみられた仲間組合式のものであって、生産・販売の独占と統制、工人養成の規制を目的とするもの)を組織し、天保3(1832)には遐福講に改め、明治10年、遐福舎となり、国内勧業博覧会に出品し、輪島塗の名声を高める。