松岡吉平マツオカキチヘイ

天保13頃~明治36:きゅう漆を永井余三兵衛に学び、後には肉合研出蒔絵など蒔絵の各技法にも秀でる。明治15年に金沢で描金工同盟申合規則が結ばれた際には筆頭人の一人として名を連ねる。号は珠道。14年の第2回内国勧業博覧会以後、同博覧会には23年の第3回、28年の第4回とも連続して出品。26年のシカゴ・コロンブス万国博覧会にも出品する。