井上安治イノウエヤスハル

上安治、俗称は安次郎。川越の呉服太物問屋高麗屋出身の井上清七の長男として江戸浅草並木町で生まれる。初め大蘇芳年の門に入ったが師の画風が合わず、明治11年小林清親に入門する。師の光線画を会得し13年、17歳の時、版元松木平吉から「浅草橋夕景」「新吉原夜桜景」を版行した。翌14年から15年にかけて傑作と評価される「蛎売町川岸の図」「銀座商店夜景」「富士見渡シ之景」など10点ほどの風景画を発表している。これらの一連の作品は師清親の新しい版画の表現方法を超えて新生面を開き、安治の芸術を代表するものである。 しかし、折からの洋風画排斥運動にその瑞々しい芽を摘まれ、探景と落款し始める明治17年頃からは、新風景画を捨てて伝統的な当時の浮世絵師と変わらない作風となり、憲法発布などを題材とした三枚続きの時事画などの作品を残し明治22年脚気を病み夭折した。