豊原国周トヨハラクニチカ

三代豊国の門下。始め豊原周信に学び、のち三代豊国に入門、国周を称したが、歌川派を名乗らず、終生、豊原姓を名乗ったのは最初の師恩を忘れぬ為だろう。画号は花蝶斎・華蝶桜・一鶯斎など。役者大首絵で名をあげ、三枚続きに役者一人半身という構図もつくり出した。明治期芝居絵、役者絵の中心的存在。