二代歌川国輝ウタガワクニテル02

開化絵を代表する絵師のひとりとして知られる元治元年(1864)に二代国綱(一蘭斎)を襲名、二代国輝へと改名したのは慶応元年(1865)3枚続の大判錦絵を多く手がけ、名所、鉄道などを描いた開化絵や相撲絵などで活躍明治7年(1874)に45歳で死去。号に一雄斎、一曜斎、曜斎などがある。