二代歌川豊国ウタガワトヨクニ02

初名豊重。初代豊国の門下で文化7年(1824)豊国の養子となった。師の死去に伴い文化8年(1825)二代豊国を襲名。後素亭・一陽斎・一龍斎・一瑛斎などの画号を使った。画風はよく師の様式を踏襲し、風景画、美人画などに見るべきものも多いが、同門国貞の人気に比べてその活躍はやや地味である。