須田国太郎スダクニタロウ

明治24年~昭和36年 :京都市生まれ。京都帝国大学で美学・美術史を学び、大正8?12年スペインに留学、プラド美術館でティツィアーノなどベネツィア派の模写を通じて理論と実技を深める。日本独自の油絵を求め、動物や社寺をテーマに幽玄な作品を独立美術協会に発表、昭和22年日本芸術会員推挙。終戦直後は病を得、加賀市の知人の勧めで片山津温泉に3ヶ月間療養し、その間大聖寺、小松などで美術講演会や実技講座を開く、県内にはその頃の須田作品が残ると思われる。母校京大で美術史の講義を行うなど、生涯に渡り画家と学者の両面で活躍し、36年京都で死去する。