市河米庵イチカワベイアン

安永 8~安政 5:江戸の人。江戸後期の書家。名は三亥、字は孔陽・小春、号は米庵・楽斎・ 道人・金洞山人・半千筆斎・百筆斎・山林道。巻菱湖・貫名海屋ら幕末三筆の一人。儒者・漢詩人である寛斎の子。画を父や林述斎・柴野栗山に学び、書は父の他に顔真卿・米 に私淑してその書風を学んだ。寛政11年(1799)書塾小山林道を開く。26才で長崎に遊歴し明清の書画の影響を受ける。当時、米庵流と呼ばれる力強い書をした。遠近の門人は五千余人に及んだといわれ、父の跡を継いで前田家に仕え金沢にも住んだ。『米 書訣』『米庵墨談』『筆譜』など著述も多い。