狩野安信カノウヤスノブ

慶長18~貞享2:京都に生まれる。江戸前期の狩野派の画家。幼名雄丸・四郎次郎、通称は源四郎、号は永真・牧心斎。狩野孝信の三男で、狩野定信に子がなかったために安信が養子となり跡を継ぐ。画を狩野興以に兄たちと学ぶ。寛永年中に幕府から江戸中橋に屋敷を拝領し中橋狩野家の祖となる。寛永・承応・寛文・延宝の各御所造営や江戸城などの障屏画制作に参加し法眼となる。画業は兄弟の中では劣るといわれるが、古典の鑑定に優れ、画論『画道要訣』が遺稿として伝わる。