寛永 8~宝永 2:京都に生まれる。江戸前期の住吉派の画家。幼名は広純、後に広澄と改める。通称内記。住吉派の祖である如慶の嫡男。延宝2年(1674)剃髪して法名を具慶とし法橋に叙せられる。天和3年(1683)幕府御用絵師となり、貞享2年(1685)には奥絵師となり、住吉派興隆の基礎を築く。元禄2年(1689)には法眼に叙せられる。父の画風を守り、多くの種寺社縁起絵巻や画帖を描いた。