千 宗旦センノソウタン

天正 6~万治元:利休の孫、少庵の長男。名は宗旦。号は元伯、元叔、咄々斎など。10歳の頃、大徳寺の春屋宗園の喝食となり、得度して蔵主にまで上がる。のち父により再興された千家に戻り、利休の侘茶を普及させた。生涯仕官せず、「乞食宗旦」の異名をとるほど侘茶に徹したが、3男の江岑宗左(表千家)を紀州徳川家へ、4男の千叟宗室(裏千家)を加賀前田家へ、2男一応宗守(武者小路千家)を高松松平家に仕官させ、千家の存続をはかった功績は大きい。