千 利休センノリキュウ

大永 2~天正19:茶の湯の大成者。堺の納屋衆田中与兵衛の子。幼名与四郎、法諱は宗易、号は抛筌斎、利休は居士号。はじめ茶の湯を北向道陳に学び、のちに武野紹鴎に師事し、また大徳寺の笑嶺宗訴に参禅した。織田信長の茶頭を務め、今井宗久、津田宗及と共に三宗匠に数えられ、豊臣秀吉の時代には天下一宗匠と称せられるようになる。のちに秀吉の怒りにふれ自刃した。茶禅一味を基調とし、侘び、さびの理念を極めた。