尊雲ソンウン

延慶元~建武 2:護良親王(もりよし・もりなが)。後醍醐天皇の皇子、母は北畠師親の女親子。若くして三千院(梶井門跡)に入り天台座主になる。法名尊雲、大塔宮と号した。関東調伏の祈祷を行い、山門衆徒を味方につけ倒幕を進め、元弘の乱では還俗し吉野で挙兵するとともに、国々諸方に挙兵を呼びかけ官軍勝利の求心力となった。建武の新政では征夷大将軍になるが、父帝と疎隔が広まり解任され、さらに足利氏の讒言により鎌倉に流罪となり、足利直義の下に幽閉される。建武2年幕府残党である北条時行の鎌倉攻めに際し非業の死を遂げた。