俵屋宗雪タワラヤソウセツ

宗達の子・弟といわれるが、有能な弟子ともいわれる。宗達工房の後継者であり、その代表的画家の一人であったと思われる。寛永18(1641)年頃に法橋となり、同20年から正保の初め頃金沢に下り、前田家の御用絵師になったと思われる。作風は金地の効果を生かし、対象を写実的に描写しながらも、それを画面の左右に広がりをもって装飾的に配する構成法をとる。