タイトル:かねは雄弁に語りき-石川県立美術館の金属コレクション-

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概要

かねは雄弁に語りき-石川県立美術館の金属コレクション-の作品解説電子ブックです。

5しょ初だい代だんだん段々みや宮がま釜ざき崎Tea kettle, in tiers江戸17-18世紀かん寒ち雉肩から胴にかけ三段となる釜で、打ち落とした裾おだれをそのまま残す尾垂となっている。個性的な形状だが、バランスもよく落ち着いた印象を受ける。ともぶた蓋は共蓋と替蓋があり、図版のように段のある共蓋を使うと五段釜となる。段々釜としての視覚効果を発揮した発想がおもしろい。また替蓋は、縁かすくいぶたつまら中央にかけてゆるやかに窪んだ掬蓋で、摘みにそうりんは相輪をもった三重塔がつく。段々釜の形状から連想したものだろう。(AS)6しょ初あられ霰だい代がま釜みや宮ざき崎かん寒ち雉Tea kettle, design of hail pattern江戸17-18世紀口縁がやや落ち込んでおり、胴部に粒状の突起であられもんある霰文を施す。霰の大きさは一定ではなく、口かんつきから鐶付(釜を動かすときに鐶をかけ通す耳)の部分まで細かく密であり、中ほどから下になるにしたがって粗くなる。霰の一つ一つまで神経が行き届き、作行のよい釜である。蓋は平らな一文字蓋で、虫喰いのある花の実の摘みが付く。ほうすぐんなかいむら初代宮崎寒雉は鳳至郡中居村(現穴水町中居)生まれ。金沢出身との説もある。名を義一、号を寒雉といい、剃髪後は一艸庵寒雉と称した。幼いころから京都の名越家(一説には大西家)に入門し釜せんそうそうしつ造りを学ぶ。金沢に移った後、仙叟宗室の指導を得て、加賀藩の御用釜師として侘びのある茶の湯釜を制作した。(AS)6