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学芸員コラムColumn

2017年4月21日その他【美術館小史・余話2】美術館建設で万歳を叫んで悔やんだ作家たち

※本コラムは平成12年から平成16年にかけて、当館館長・嶋崎丞が「石川県立美術館だより」において連載したものの再録です。

 戦後第1回の現代美術展の会場として使用された、旧海軍人事部の建物が米軍に接収されてしまうと、美術館として の機能を持つ施設は全く無くなってしまった。
 昭和33年3月の県議会で、初めて美術館を建設するための設置と事業費が提出されると、当時美術館建設を知事や議会に請願の運動をしていた高光一也さんなどの作家たちは、議会での可決の瞬間を見ようと傍聴席に駆け付け、可決されると大声で「万歳!」を唱えたという。
  しかしその美術館が昭和 34年10月に開館してみると、彼らが考えていた展覧会場としての美術館ではなく、県が所有していた九谷や友禅、漆 器などを常設展示し、美術館側が企画する展覧会を開催するミュージアム・オブ・アートとしてのスタートであった。旧美術館(石川県美術館)について
 その当時ミュージアムとしての美術館をスタートさせた県関係者の考え方は、実に本質を貫いており、見事であったということができるが、高光さんらは「あの時は万歳を叫ぶべきではなかった?」と、いつも話されていた。
 作家の人々は、得てして美術館というとギャラリーであると思い込んでいる人が多いが、美術館とはミュージアム・オブ・ アートであって、ギャラリー(貸展覧会場)ではないことを忘れてはならない。
 そうした考え方の多い作家の要望を取り入れて、現在の美術館が昭和58年11月に開館した。

 (嶋崎丞当館館長、「石川県立美術館だより」第203号、平成12年9月1日発行)

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